Tuesday, October 31, 2006

弱き人の尊厳を守ることが自分の尊厳を守る

オリヴィア ハッセー主演の映画「マザーテレサ」は感動的でした。
絶望あるところに 希望を運べるよう
悲しみあるところに 喜び運べるよう

慰められるより 慰めることを
理解されるより 理解しよう

愛されるより 愛することができるよう
なぜなら 与えることが受け取ること
なぜなら 赦すことによって 私達は赦されるから。
死ぬことによって 永遠のいのちへと 生まれ変わるのです

飢えと貧困で死にゆく人に暖かく接して、最後のひとときを、そして尊厳を大切にしました。キリスト教に固執せず、ヒンズー教徒にはヒンズー教徒として、イスラム教徒にはイスラム的に対処しました。
彼女の思想と行為がキリスト教の信用と好意を得ることができました。

いずれ我々は神の前に立たねばなりません。
キリストは言います。「おまえ達は私が空腹であったとき、食べるものをくれず、渇いてるときにも飲ませず・・」
「私にはあなたを粗末にした覚えがありません」
「最も小さい(弱い)者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。」(マタイ25:42-45中略)

パンとワインを「キリストの肉と血です」とするカトリックのミサは無理があると批判していた私ですが、キリストでもないホームレスをキリストとして仕えていくマザーたちに、私の聖餐論神学は吹っ飛びました。
キリストはヒンズー教徒に変身していました。
この町のホームレスはキリストの変身です。
キリストはあやふやな信仰でも、親切なサマリア人を高く評価しました。
正しい信仰を持ち、人々の尊敬を集めるパリサイ人でも倒れた人を見ぬふりをすれば、キリストが悲しまれます。
正しく有能で冷たい人は最もタチ悪い。
「クリスチャンでなければ冠婚葬祭はやりません」と正しいことしている(つもり)教会はキリストを見捨てているのかも

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