Tuesday, October 31, 2006

あるパターン。間に合わない行政、業者、そして教会

先日さっそく、「生活保護を受けている独居老人が危篤です」と知らせがありました。
高速道路で1時間半かかる兵庫県東部S市の病院でした。我が愛車はスクラップ工場から拾ってきたもの。飛ばしながら、車が先に臨終にならないかと心配でした。
うすい意識のもと聖書読み、祈りました。口腔ガンで呼吸困難、手足のマヒとけいれんで苦しむ中にも、ほっと安心した表情になったような気がしました。そしてその夜、神のもとに帰りました。
まず葬式会場捜しです。その市内の教会いくつかに電話しました。判で押したように「役員会に相談してから」。これでは間に合いません。なかには「自分の教会でやりなさい。それが筋でしょう」まさにそのとおりです。正しいのです。でもなんだか冷たい言葉。自分の教会以外は関係ないという態度に見えます。お忙しい律法学者は困ってる人がいると別の道を行くようです。自分の教会まで片道100キロの往復はできないので病院の霊安室を式場にお借りしました。
また私の車では、あまりにもみすぼらしいと、霊柩車を手配すると、「市にはないので業者に」と市役所。業者は「霊柩車だけでは受付ません。基本料金を。」この基本料は50万とか100万円。一般的には適切な価格かもしれませんが生活保護受給者に払えますか?遺族もいなくて誰が払えますか?遺族があっても緊急に用意できる額ですか?大黒柱を亡くしたお宅は、これからの生活費が大変なのに。などと怒りながら、柩の乗るワゴン車を手配し、お花、柩や骨壺など調達しました。計3万円ほど?!。2桁安。故人の生活保護費の残額で買えました。生前に会えなかった遠縁の方々数人と式が始まりました。
私のフルート演奏でアルビノーニのアダージオが前奏、嗚咽を思わせる旋律。皆さんの心のこもった賛美歌。聖書朗読でキリストの永遠の愛、あらためて生きることの意味、真に幸いの意味へと進んで、希望をあらわす簡素にして充分な色花で飾り、院長以下病院スタッフ全員で送ってくださいました。この病院は技術と心が備わっていると感動的なひとときでした。
無収入の人をも、これだけ手厚く介護できる日本の福祉行政はマザーテレサを必要としないほどの90点以上の完成度。そして教会の優しさも90点。あとちょっとの違いが天と地を分ける結果になります。それを満たす努力が、自分たちの仕事かなと決意させられました。また人生の最後まで大金がいる社会であってはならないと。

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