Tuesday, October 31, 2006

宗教式典は商売?

一般式場のキリスト教式結婚式は10年ほど前、教会の指導で始まったものの、やがて多くの式場は教会より離れて形骸化しました。
本物牧師は「健やかな時も、病める時も」と縁起の悪いことを言うからだめだそうです。
うれしいことは分かち合って喜びを倍にして、苦しいことがあれば、力を合わせれば半分にできる。
「後半はダメ!」・・だそうです。
十字架という最も残虐な死刑台の前で、いまさらと思いますが。

いつのまにかインターネット通販で手に入れた牧師証明書をもったニセ外人牧師が横行しています。彼らなら、書かれたものを棒読みするだけなので間違いが最小で済むということです。神への畏怖の念は皆無。入国管理局が動いています。裁きを受けるでしょう。
それにしても、いまだ進駐軍コンプレックスが若い人にも残っているようです。
式場もお客さんもニセ者とうすうす気が付きながら、人生のスタートをニセでいいんでしょうか?
並みのクリスチャンなら、二言三言会話すると、本物かどうかわかります。
簡単な見分け方。
「○○をお祈りください」と言えば、マニアルにないので偽者はおどおど。
私も「先週、父が亡くなりました。父の望みどおり、結婚式を中止しなかったのです。お祈りをしてから結婚式を始めてください」と言われたことがありました。悲しみの直後の喜びは、涙、涙のすばらしい式になりました。
あるいは「神を信じるのになぜイエスキリストが必要ですか」
この質問は重要です。教師資格のある人なら、わかりやすく答えてくれます。

 さて、せめて葬儀は教会が正しく導くべきと感じています。式には音楽が大切な働きをするので、この点からも、私の使命です。
仏式葬儀マニュアルを見ると、葬儀業者に連絡が第一。お寺に連絡は5番目ぐらい。
僧侶の選択は業者に主導権があります。業者は客の迷信でも忠実に従います。仏教としての指導の機会がありません。「親鸞上人が踏みにじられている」とは、私が尊敬する御僧の嘆きです。
第一報があると「式は費用のことも含め、すべて心配ありません」と言える牧師や長老の準備が必要です。

さて牧師たちの勉強会において「身寄りのない人やホームレスの葬儀はどうなっているのだろう」という話になったことがあります。行政がやってくれているようですが、「人として最期の尊厳は守られているだろうか」
「火葬だけで、まるでゴミ処理扱いでは?」と心配になりました。「たとえ無料でも我々でやろう」と話合いました。
完全に宗教行事風商行為になった婚葬儀でも、商人が手も出さない部分を宗教行為の原点に戻したいのです。

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