Wednesday, December 27, 2006

うれしいニュース

ここ数日、優しい方々との出会いが多くあり、今年も大ボンビ(貧乏の楽隊用語)一年ながら、喜びの年として締めくくれそうです。
キリスト教式葬儀普及相談のため、何人もの神父や牧師と話す機会がありました。
最初は「信者でもない人の婚葬式は、神への冒涜。信者さん達の機嫌を損ねる」と言われた先生も、すぐにわかったいただきました。
それどころか、

「我が教会での葬儀は一般の方々も含め全て無料でやります。
柩などは教会が負担して、完全無料です。
それが人生最大の悲しみにある人への当然の配慮です」
「タダというのは寿司屋の時価と同じ一番高くつきそうな感じですが」
「実際経費がかかるので、木下先生、安く柩を手配してください。献金は受け付けますが、10万円以上は受け付けません」

なんとこんな答えをくださった教会がいくつかあったのです。
いくつかですよ。例外でないのです。
「いずれはそうしますが、今のところ消耗品経費だけは負担下さい」という教会は多かったです。

持ち慣れないお金は人を堕落させる要素があります。
マクドナルドの故藤田田社長は
「お金は何に使うのかを決めてから、稼ぎなさい。
若くして、思わぬ大金を手にすると、酒と女に溺れて健康すら失う。
年をとってからだと、溺れたくても、体力がないので、健全な使い方ができる。」
とオチも入れて語ります。

ずいぶん昔から「葬式仏教」と言われるようになりました。
個人的に多くのすばらしい僧侶や仏教徒と出会いました。尊敬しています。
素晴らしい宗教が、なぜここまで軽蔑を受けるようになったのでしょうか。
かつては政治的、歴史的、学問的権威を誇っても、現在は葬式収入と観光収入に頼っている現実です。
僧侶が病床の人に人生を語ろうとしても「まだ生きてる、来るのが早い」と嫌われます。

キリスト教式が普及すると、「貧乏葬式教会」となる危険は大きいでしょう。
葬儀で教会運営が出来るようなると、生きている人達への、伝道やケアーがおろそかになる可能性があります。
ヨーロッパの教会がすでにそうです。
やはり「無料」で持ち出しでなければならないのです。

献金は義務でなく権利です。
「受けるより与える方が幸いである」その幸いを得ることができる信者の権利です。
経費を支払うマナーは必要としても、信者以外に献金する権利はないのです。

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