宣教師は心の中心を聖霊が満たしているのに、本人が意識してなかったわけです。
悪霊を追い出る能力があることを自分自身が驚きました。
我が遠縁にも、霊能力がすぐれている人がいます。その師匠はさらに見事です。
他府県で高速道路が建設され、無縁墓が撤去されそうだと聞かされました。
それは何代も前の親族が忘れ去られた悲しみを叫んでいるというのです。
行ってみると、はたして親族らしい名前が刻んでありました。
また他の死んだ親族の迷える魂の状態を克明に教えてくれます。
どんな親族がいるかは、まったく知らせていないにもかかわらず。
我々の話題が出ないので、こちらから聞いたそうです。
「姫路の木下一家はどうでしょうか?」
「何も見えない。バリアーがかかっているみたい」
「クリスチャンファミリーです。」
「なんだ、それでか」
驚きました。
私達本人より、何だかいかがわしい思える霊媒師のほうが、キリストの偉大さを理解している!
守るべき子孫を祟るような祖先。
前に述べたように、ニセものですが、本物とすれば、かなり歪んでいる。
お盆には、地獄の釜のふたが開いて、先祖が帰ってくる。
ということは、葬儀の際の、回向、供養は無駄だったことになります。
怪しげな霊能力者の徐霊は怪しいものです。
もっとひどくなりそう。
人に魂を扱うなどと、そんな力があるわけがないのです。
私も牧師の端くれとして、死者を天国へ導く「とりなしの」祈りをします。
だからといって、それがかなうか否かは随分あやしい。
私の力量ではどうしようもありません。
天国への救いの仕事をしてくれるのはキリストです。
当然それは、完璧です。
死後は神に委ねる以外の方法はありません。
ですので、生きているうちに、険しい顔が優しい顔に変わるのを見たい。
すでに、この世において、天国=神の国の籍を持つのを見たいのです。
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